戸川利郎

ヨガ&ピラティスのスタジオの情報です。(戸川利郎)

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現代のヨガ行者(インドのニューデリー)

1993年1月

世界の街角から

ヨーロッパでは通貨統合が動き出し、アメリカでは新大統領が就任する1993年。

この1年はどんな年になるだろうか。

世界各地の街角からはさまざまなささやき声が聞こえてくる--。

セメント造りの貯水槽

ニューデリー中心部から西へ約20キロ、道路をわがもの顔で歩く牛をよけながら雑踏の中を抜けると、住宅に囲まれた野球場ぐらいの広さの空き地が広がっていた。

その真ん中に新しいセメント造りの貯水槽が見える。

「あれがパイロット師がサマディ(悟りの行)をしたところさ」。

空き地横で油菓子を売るオヤジさんが話す。

貯水槽は3メートル立方の大きさで、地上に出た高さ1メートルほどの外壁にはパイロット師の名がペンキで大きく書かれてある。

パイロット師とは

パイロット師はヨガ行者として知られた人物だ。

1992年11月に、この貯水槽の底に座り、4日間にわたって水の中で悟りを得る苦行に“成功”、インドの新聞や雑誌を大いににぎわした。

その名前が示すとおり、若いころにインド空軍のパイロットから転身、ヒマラヤ山中でヨガ修行に入ったという変わり種だ。

さっそく会ってみようと、グラウンドから近いアシュラム(修行所)を訪ねた。

論争の渦中の人

市場経済化の中でアシュラムといってもアパートの一角。

案内されると、パイロット師はヒンズー神のクリシュナの絵や、ヒンズーの呪文が壁に張られた部屋の中にいた。

布団の上に座ったままのパイロット師は長髪にもじゃもじゃヒゲで、仙人のよう。

身体を巻いたサフラン色の着衣の端からのぞく皮膚はつやつやとして54歳という年齢よりはずっと若く見える。

「あのサマディは人々の心に平和がくるよう願ってやったものです。

インドでは私を批判する人もいるが、それはねたみにすぎないんですよ」。

パイロット師は自分が論争の渦中の人であることを意識して、最初から、こう話しかけてきた。

水中のサマディ

水中のサマディは話題を呼んだが、「いかさまだ」という批判もあって、マスコミが面白おかしく取り上げた。

ヨガといえば、空中に浮いたとか、パイロット師のように水中で何日もいたとか、とかく奇跡的な話が多い。

神秘の国インドでも、そう簡単に奇跡を信じてはくれない。

パイロット師の怒り

パイロット師は貯水槽の底で瞑想し、水の中から4日ぶりに出てきた時、「誰かが私を疑っている」と集まった群衆に怒りをあらわにした。

新聞も読まずともテレパシーで言い掛かりがあることがわかったという。

その相手は奇跡、超能力のたぐいを否定しようというインド合理主義者協会という団体。

インド合理主義者協会

今回のパイロット師の奇跡が本物でないとサマディが始まった時から新聞に訴えてきた。

インド合理主義者協会のサナル・エダマルク書記は「貯水槽はカバーで覆われ、上の縁一杯まで水はこない仕掛けだったのだろう。

中にあった梯子で水上に首を出して空気を吸うことができる。

本当にできるのなら、カバーもせずわれわれの見る前でやるべきだ」と挑戦的だ。

パイロット師の弁

パイロット師の弁では、カバーをかけていたのは、反対勢力が貯水槽にモノを投げたりして妨害するのを避けるためだったという。

しかもヨガで長時間呼吸を止めるのは土の中や、ガラス張りの箱の中のサマディで何回も経験済みで、最高33日間、雪穴の中で無呼吸でいたことがあるという。

ちなみに日本のマスコミをにぎわしたオウム真理教の麻原彰晃代表もパイロット師のもとに学びにきたという。

インドの超能力の話

インドでは、超能力の話にはことかかない。

「ゴッドマン(神人)」とも呼ばれる国際的有名人もいる。

たとえば空気から時計などを取り出してみせたサイババ師や、1960年代にビートルズをいかれさせたマヘシュ・ヨギ師などだ。

占星術や手相が盛ん

また世界での知名度はないが、ディレンドラ・ブラマチャリ師は故インディラ・ガンジー首相の占星術をしていたことで知られる。

孤独な女帝が占星術に凝っていたことは、最近出版された伝記で明らかになった。

占星術や手相見などの占いは、南アジアではきわめて盛ん。

結婚式の日取りは占星術で決めるし、首相が総選挙実施日を占星術で縁起のいい日にするということもよく聞く。

チャンドラ・スワミ師

今最も注目されているのがチャンドラ・スワミ師。

現職のナラシマ・ラオ首相とは長年の付き合いで、国民会議派を中心に政治家との関係が深い。

ブローカーのような役割を果たして、これまでもたびたびスキャンダルに登場してきた。

ラオ首相就任後は政策決定にも強い影響力を持っているとすらいわれる。

神秘的なものと切っても切れない関係

インドでは12月にイスラム寺院がヒンズー教原理主義者に破壊され、ヒンズー、イスラム両教徒との亀裂が広がり、ニューデリーを含む各地は暴動で大荒れになった。

いってみればインド政治は、宗教あるいは神秘的なものと切っても切れない関係にある。

パイロット師も首相を予言

パイロット師も「私はシェカール前首相と親しかったことがあり、彼に首相になることを2ヵ月前に予言した。

だが彼は首相になるとチャンドラ・スワミ師を使うようになった」と話し、それが4ヵ月の短命政権になった理由であるかのように残念げだ。

政治家たちの人気取りに利用された?

今回のサマディも国民会議派の国会議員が組織したといい、政治家たちがパイロット師のパフォーマンスを人気取りに利用したにおいがぷんぷんする。

市場経済へ政策を転換

1991年にひどい外貨危機に見舞われ、ラジブ・ガンジー元首相の暗殺事件の後に登場したラオ首相は、これまでの社会主義的経済から市場経済へ政策を転換させた。

ややもすれば独りよがりの鎖国的なスタンスをとりがちだったが、社会は徐々に門戸開放しつつある。

欧米の情報も増加

スター・テレビやCNNのような衛星放送が見られるようになり、欧米の情報も増えてきた。

それだけに伝統的、宗教的な生き方や考え方が、現代的なものと摩擦を生じることが多くなった。

暴動はラストレーションの現れ

そのフラストレーションの現れの一つが宗教への回帰、ヒンズー原理主義の高まりで、それに誘発された宗教紛争が12月の暴動と分析できるかもしれない。

日本経済を占う

日本経済を占ってもらった。

「科学はぜいたくを与えてくれるが、同時に不満も与えるものだ。

人間は自己中心的になって、金がなければ生存できないと思っている。

ヨガの瞑想こそ、本当の満足を味わうことができる」とパイロット師。

批判者と対決して、1993年はガラス張りの密室に挑戦すると張り切る。

インド合理主義者協会のほうも、「われわれがこれまでに取り上げた超能力といわれた21のケースは、いずれも本人が証明できなかった」と、譲らない。

1993年の日本経済

それにしても、未来を知りたいのは人情。

せっかくだからとパイロット師に1993年の日本経済について宣託を受けた。

「上がったり、下がったりで、本格的に上向くのは1994年から。

いずれにしても日本は5年すれば世界一の経済になるよ」と太鼓判。

さて、当たりますかどうか。

ヨガの師匠アイアンガー氏

1992年12月

世界的なバイオリニストのヨガの師匠

世界的なバイオリニストで指揮者のユーディ・メニューインさん(76)が、ヨガを愛し自らも取り組んでいることはよく知られているが、そのヨガの師匠であるインドのB・K・S・アイアンガーさん(74)が1992年11月に来日して、東京と大阪で愛好者を指導した。アメリカ、イギリスを中心にアイアンガー・ヨガと親しまれ、世界中に175ものセンターを持つというアイアンガーさんは、大阪での指導の合間に、40年前の若き天才バイオリニストとの出会いのエピソードなどを、話してくれた。

アイアンガー氏

アイアンガーさんはオーストラリアや韓国などを回るヨガ研修旅行の途中、日本アイアンガーヨガ協会(本部・大阪、会長エンスリン・ノリコさん)の招きで来日した。3度目、12年ぶりという。彼のヨガ理論は『ハタヨガの真髄』『ヨガ芸術』『ヨガ呼吸・冥想百科』(いずれも白揚社刊)などに詳しいが、いずれの著書にもメニューインさんの推薦の言葉が載っている。

メニューインさんとの出会い

アイアンガーさんによると、メニューインさんとの出会いは1952年だった。飢餓救済のコンサートのため、ネール首相の招きでニューデリーを訪問した彼は、極度の過労でバイオリンを持てないほどの健康状態だった。医師は、1年は仕事を休むように進言していた。メニューインさんは、自ら希望して何人ものヨガ指導者に会ったが満足しなかった。ボンベイで会った有名な医師が、アイアンガーさんを推薦した。

ヨガの理論を話す

当時、プーナにいた彼は突然、政府に呼び出された。面会時間は5分と言われた。どんな偉大なバイオリニストかも知らず、気の進まない気分で来た。「メニューイン先生は眠っていたが、ドアをたたいて起こし、眠そうに出てきた先生にヨガの理論を話した。先生は退屈してまた眠ってしまった」とアイアンガーさんは笑う。

リクラセーションと実技のデモンストレーション

次にリクラセーションを教えるとまた3分で眠りこみ、40分間も熟睡した。「私は5分の約束なのに40分も付き合ったし、大勢面会の人が待っているので帰る」と言うと、彼は「この数年、こんなに深く気持ちよく眠ったことはない」と言い、他の人たちを断って、実技指導を希望した。45分も実技のデモンストレーションをすると、驚きのまなざしで見つめていたが、さらにヘッドバランス(逆立ち)をしてみせてくれと希望した。

終生のヨガ・フレンド

逆立ちの指導をしたが、その時、体の軽さと自由な感覚を味わったようだった。以後請われて、4日間毎日教えた。その直後のコンサートは大成功だったが、アイアンガーさんと離れて地方に出掛けていくと調子が悪くなる。そこで13日間、朝晩2回、指導した。いらい外国にも同行し、2人は終生のヨガ・フレンドとなった。

エンスリン・ノリコさん

エンスリン・ノリコさんは1992年4月、来日したメニューインさんに大阪で会った。彼は、アイアンガーさんの弟子のヨガ・フレンドとして、特別にリハーサルまで見せてくれた。「私は今朝も逆立ちをしました」と語っていたという。

アイアンガー・ヨガ

アイアンガー・ヨガでは、すべらないマットやベルトなど各種の補助用具を使う。これは無理をして体を痛めないこと、老人や体にハンディのある人も楽にできるよう考えられたもので、他のヨガにない特色だ、とノリコさんは言う。

アイアンガーさんの講義

東京や大阪でのアイアンガーさんの講義の態度は真剣でエネルギッシュだった。体のしなやかさや迫力は、年齢を超越していた。